ガイドさんの説明によると、このピラミッドが建造されるまでの古代エジプト人のお墓は日干し煉瓦を台形の形に積み上げたマスタバ墳よばれる物が主流であったらしい。しかし、このジォセル王の家臣であった建築家イムホテプは、今までの王とは違う墓を作れば王が喜ぶだろうと、まず巨大なマスタバ墓を作ったそうだ。
しかしそれだけでは物足りず、そのマスタバ墓の上にさらにマスタバ墓をつくり、2重のマスタバ墓を完成させた。でも、もう1段重ねればもっと王が喜ぶと思いさらにその上に重ねた。そして、さらにもう一段重ねればもっと・・・
と、かれこれ6回ほど繰り返しこの階段ピラミッドを作り上げたそうだ。
とても単純な話だが、この階段ピラミッドは建造当初かなり斬新なものだったに違いない。(最初に感じた斬新さはこれだったのか!?)
また、この階段ピラミッドの周囲は日干し煉瓦で作られた城壁でかこまれており、その中にはピラミッド以外にも建築物が建てられ、ピラミッドを中心としたそれら全ての建築物を合わせピラミッドコンプレックス(複合建築)とよばれている。
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